- ブログ
【75】肌の調子がいいかも
電車が止まった。
19時ちょうどに予約をした美容室は、自分の最寄駅から2つとなりの駅から徒歩5分の位置にある。ダラダラ~っと支度をしたものの「ちゃんと予約の時間には間に合うな」と思いながら最寄駅に着いたらビビった。
改札に入れないやんけ…
いくつかある改札機は、すべてこちらに「進入禁止」のマークを見せて通せんぼしている。改札の外から構内を見つめる数人は何をしているのかと思ったら、どうも列車の案内を知らせる表示板を見て絶望しているらしかった。
「〜駅で人身事故が起こった影響で運転を見合わせています」
あ、やばいやつ。発生はどうも数十分前。こりゃ当分動かんな。
見回してみるとずいぶん立ち止まっている人が多いことに気がついた。土曜日の夕方だから、夜ご飯を食べに出かけたりショッピングから帰った人が多いのかと思ったら、みんな電車が動かなくて立ち往生してたのか。
スマホでも電車の運行情報を調べてみたら、もちろん「×」という残酷なマークが浮かんでいる。もともと運行本数が(クソ)多い東京の路線だから、「遅れている」ぐらいならたいした問題はないのだが。「運行を停止している」となると話は違う。
現在の時刻は18時半。うーむ…電車で行けば予約時間には余裕だったものの、こうなると時間との勝負だ。
考えうる手段は3つ。
1.自転車
みんなの味方、通称「チャリ」。最寄駅から自宅は近いので、戻って自転車にまたがり、美容室の最寄りの駅の駐輪場に置いて行けば時間には間に合う。が、この日はその後も別の場所で予定が入っていた。自転車をどれくらい駐輪場に置いておけるのかよくわからないので、パス。
2.タクシー
恐れ多くも社会人になったので、こんな選択肢もなくはない。自由に好きな区間を移動できる魔法のような交通機関、タクシー。僕を大学1年のとき、テストに間に合わせてくれたことは記憶に新しい(ちなみに結局、そのテストは普通に不合格だった)。どうしても時間を優先したいこんなときこそ。
が、もちろんみんな考えることは一緒である。駅のタクシー乗り場にはすでに長蛇の列ができていて、おとなしく待っていれば1時間ぐらいは待ちそうな感じだ。
普段はめったに使わないタクシーアプリなるものを起動してみるが、もちろん付近に空車はいない。「10~15分でお出迎え」…ほんとか?正直あやしい。パス。
3.ダッシュ
はいこれ。1分でこの選択肢に決定。最後に信じられるのは自分の力のみ。
2駅隣ということは、散歩したら1時間ぐらいの距離。ずーっと走るのは無理でも、ときどき歩いてインターバルをはさみながら進めばなんとかんじゃね?という考え。うん、これでいこう。
てなわけで早速ダッシュ。状況を察してくれたのであろう周りの視線が温かい。声援ありがとう、がんばるよ僕。
で、5分後。
「いや、きつ!!」
普段運動していない社会人には数分のダッシュ、というかランニングはきつい。赤信号は早く青信号に変わってほしいけども、体力的には少し待ってほしい。
そんなこんなでランニングとウォーキングを繰り返しながら進む。15分でまず隣の駅に到着した。もしかしたら電車は通常通りの運行に戻っているかもしれないが、人身事故の発生時間を考えるとそれは淡い期待だ。わざわざ改札前まで運行情報を見にいくのも面倒なので、そのまま走ることに決定。
この時点で相当汗だくである。
久しぶりに激しい運動をさせられた足は悲鳴をあげている。歩きたくなる衝動に何度も駆られるも、できるだけ走って美容室を目指す。
本当は予約時刻の5分前に到着して「普通に来ましたが?」感を出すことにしたかった(顔の火照りをごまかせるわけはないのだが)が、おもっきりジャストで到着した。てか1、2分遅れたかもしんない、すみません。
肩にしょっていたリュックサックを置くと、背中にたくさん汗をかいているのに気づいた。たいして新陳代謝がよくないので顔に汗をかくことはめったにないのだけど、脇や背中はどうしても汗をかきやすい。
このときふと感じた。
そんなにかゆくない。
皮膚炎で肌の弱く、乾燥肌の自分にとって、運動して汗をかいたときの不快さというのは「汗」そのものよりも「それによって生じるかゆみ」による影響のほうが強い。運動して体が火照り体はかゆくなり、かいて傷はでき(傷がもともとあるところなら広がり)、汗は塗っていた保湿剤をはがして肌は乾燥していく、という悲しい流れである。
生まれた時からそのような体質で、そのようなことは自分にとっては当たり前だと受け入れていた。なーんにもうまくできるスポーツはなかったが運動自体は大好きで、小学校の10分休みでもグラウンドに駆けて行った男子の一人だった。振り返るとあの体力ってやっぱバケモンだな。
今思うと母は、その体質を持った自分以上にだいぶ気にかけていたと思う。小学校3年のときに、「スクールまで送ってくれるマイクロバスのテレビでやっていた『トムとジェリー』がおもしろそうだったから」というなんとも邪な理由でスイミングスクールに通い始めたことがある。水ははっきり言って乾燥肌の人にとっては天敵で、肌は荒れやすくなるし、終わった後の保湿が大変だ。母はなんども「ほんとうにいいの?」と僕に問いかけたが、『トムとジェリー』を観たい僕(水泳もしたいっちゃしたかったのかもしれない)は「うん」と首を縦に振り続けた。母は「じゃあやってみな」と言ってくれた。
実際スクールに通い始めたら、一部の子には露骨に避けられた。小学校に入学したときの周りの女の子もそんな反応だったし、そういう反応をされるのは自分にとっては当たり前だと思っていたので特になんとも思わなかった。傷だらけの子を見ればそりゃ誰だってギョッとするだろう。悪口は言わないが、それは本能的に僕だって同じだ。今思い返しても、避けてきたその子達になにも思うことはないし、自覚した上で乗り込んでいる僕がとやかく言えることではない。
てか、半年ぐらいしたらふつうに話してくれた気がするし、中級コースだったかの合格を一緒に喜んだ覚えがあるし、悪い記憶として全然残っていない。
自分から「やりたい」と言ったことは、親がやらせてくれたことには本当に感謝するばかりだ。正直、肌のことを考えれば家のなかにずっといるのが一番よかったのだ。多少の運動は身体にいい影響があるが、汗をかきまくってかきまくるよりは過ごしやすい屋内にいたほうがいい。
それでも地域の野球クラブ(有志のおじちゃんが教えてくれるようなもので、他チームと試合などはしない)に入ったり地域行事に参加させてくれたり、天理教の鼓笛隊などにも参加した。友達が「楽しいよ」と誘ってくれた地元の天理教会に行ってみると、「なにやらあやしい宗教」の感じは全然なく、わきあいあいと楽器を演奏したりおしゃべりしたりして楽しむ場所だったので定期的に参加することにした。横笛はなかなか音も綺麗に出すのに時間がかかったが楽しかった。
この天理教は、奈良県天理市に教会本部を構える。通称「(お)ぢば」。1年に1度、「こどもおぢばがえり」といって真夏に催しが開催され、僕のなじみの分教会では1泊2日で毎年参加していた。全国から集まった鼓笛隊のパレードが行われ、真夏の天理を歩きながら演奏するのである。
それ自体は楽しいのだけど、練習がまあはっきり言ってしんどい。グラウンドで制服を着て演奏練習をするのだが、猛暑で頭がクラクラする。僕の場合はそれに肌のしんどさが加わり、よく貧血で休ませてもらっていたのを覚えている。
父はそんな僕を見守るために、忙しいなか休みをとって毎年ついてきてくれた。いま思うと本当にすごい。「なんできついのにわざわざそんなのに参加するんだ」と思われてもしょうがないぐらいなのに、4年間ぐらいだろうか、毎年付き添ってくれた。いまは僕も社会人なわけだが、果たして今より歳をとった状態でこどもにそこまで寄り添えるだろうか…。
まあそんなふうだった。一般的には成人になるにつれて皮膚炎の調子は良好になるものらしいが、自分にとっては正直、20歳になってもそこまでの実感はなかった。たしかに小さい頃や10代のころよりはだいぶよくなったけど、20代でもこんなものか。やっぱ一生付き合っていくんだな、と思った(実際そうなんだけど)。
ただ実は、「自分にできることもせず棚上げして」、自分の肌のことを憂いていた、という表現の方が正確である。母にどれだけ言われても自分の部屋は汚いし、油分の多いポテトチップスはよく食べる。薬はとりあえずベタベタ塗る。自分でできることを「めんどくさいしどうせ治らないから」と言って遠ざけていた。というより勝手に諦めていた。
しかしこの2年ほど、白内障になったりまあいろいろあったりで、そろそろ向き合わなければと思った。就いている仕事も接客業だ。見た目が悪くないに越したことはない。
まじめに皮膚科に通い、保湿薬やステロイド薬を適切に塗ることに努め、きついときはかゆみ止めを飲む。部屋の湿度を考えるようになった。部屋の綺麗さは…お世辞にも世間一般にほめられるレベルではないのかもしれないが、(パッパラパッパラクルクルパーな)大学生の時代と比べたらけっこうよくなったと思う。どれもすぐできる当たり前のことだ。
すると少しずつ、効果は出始めた。適切な強さのステロイドを塗れば、傷は1週間ほどで目立たなくなる。そして「そのような状態になってもしばらく塗るのをやめてはいけないんです」という先生の言葉通りにしていたら、ちゃんと傷があったのかわからないレベルになっていった。こういうときは自分で自分を褒めてあげるのが大事なので、「おほ、やるやんけ~」と毎日自画自賛しながら(はたからみたらキモい様子だが)体を労っていた。
そんな感じで、去年の夏は相当いい調子で過ごすことができた。ただ乾燥の厳しい冬が難しく、どうしても荒れる日があった。
が、今年はさらに調子がいい。そもそもずっとベタベタする白色ワセリン(油分が多く最強の保湿薬)をずっと全身に塗っていたけど、夏前に思い切って別の薬(サラサラで保湿力は落ちる)に変えてみた。
「いけるやんけ!」
自分のなかでは革命だった。ゴー☆ジャスもびっくりのレボリューション具合だった。以前は1日を過ごし終えたころには乾燥していてしんどかったのが、今は保湿力を下げた薬でもしんどくない。服もベタベタしない。とても快適だった。
自宅から乾燥機のあるコインランドリーにいくまでの10分の散歩をしていたとき、ふと肌のことを気にせず歩いている自分に気づいた。これまでの人生で、10秒たりとも、どこかが痛む皮膚の感覚を忘れたことはなかった。あまりにそれが当たり前だったから、「ただ普通に過ごせている」ことにびっくりしてしまった。
調子に乗って回転しながら歩いていたらT字路で通行人に出くわして恥ずかしくなるが、それすら楽しいと思えてくる。むしろ「ぼくいま、何も感じていないんですよ」と話しかけたくなる。あちらは「???」となるだろう。通報はしないでくれ。
で、ようやく冒頭の話につながるのだが、急激に気温が下がり寒い冬の知らせが届き始めたこの11月、走って汗をかいても肌のことが特に気にならないことにまた嬉しくなった。
以前ならかゆくて仕方がなかっただろう。しかし美容室でシャンプーをされているときはただただ汗をかいたと感じるだけで、疲れ切った足は逆に心地よい。
「そうかあ、こんな感じなのかあ。」
普通の人たちは、昔からこんな快適な状態で生きてきたのかと思うとあまりに感動してしまう。言うまでもなく、はたから見たらわからないだけで、誰でも身体のどこかに「多少の異常」はあるだろうことは百も承知だ。ただ、僕が「何の気にすることもない普通の感覚」を感じることができたことが、望外の喜びだったということだ。
これから本格的な冬が来る。結局去年までのようにまた調子が悪くなるかもしれないけど、きっとまだましだろう。
もしこのままの感覚で冬を越えられたら、あのときの僕に戻れたら、いったいどんな感覚なのだろう。
水泳をした後も、痛みを感じず保湿するだけでいいのだろうか。
野球をするときも、ユニフォームの上から かきたくならないのだろうか。
鼓笛隊の練習も、しっかり集中してできるのだろうか。
受験勉強で朝早く高校の自習室に行ったものの、しんどくて勉強に集中できないという状況にはならないのだろうか。
卒論の作成のために図書館にいって、エアコンの風で傷が痛むこともないだろうか。
身体を動かすだけで痛く、楽しいはずのギターを置かなければいけないこともなくなるだろうか。
これまでよりさらに出かけて、思う存分 観光をして、アクティビティも全力で楽しめるだろうか。
運転中の巻き込み確認を、気にせずできるだろうか。
大事なひとたちの前で、もっと全力で笑えるだろうか。
これまでたくさん本気で心配してくれた親を、本気で安心させることができるだろうか。
まあ、それ以外のことで心配させることはこれからも続きそうだけど。笑
身体の赤みはさすがにどうしようもなさそうだけど、「傷がほとんどなく体を自由に動かせる状態」でずっと過ごしたいものだ。まだまだやりたいことがたくさん残っている。
お読みいただき、ありがとうございました。10年前の君へ、10年後の君もしっかり笑っているぞ。